2014年12月23日火曜日

【山形通信】第四弾!

皆様、こんにちは。
blog管理人です。

落合先生から【山形通信】が届きました!!

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師走のお忙しいところ、失礼します。

11月のフィールドワークはいかがだったでしょうか。特に圧巻だったのは、樺崎寺の浄土庭園だったのではないでしょうか。足利義兼入定の場所まで拝観できたのは収穫でした。
(写真1)
さて、当地山形は本格的に雪となりました。写真は大学のキャンパスです(写真1)。いまだに自転車で通学している学生をときたま見ることがありますが、私は長靴で通勤しています。ただし、こちらの長靴は写真のように靴底がおもしろい。ピンがついていて、滑り止めの効果があります(写真2)。
(写真2)
雪道はまだよいのですが、単なるゴム製のものだと、凍った道は上手に歩かないと滑って転んでしまいます。関東では、たかが長靴とお思いでしょうが、この季節、靴屋さんの店頭は、おしゃれな長靴・ブーツをはじめ様々な種類の靴が売られています。周辺のかたがたにいわせると、まだまだ雪や寒さは序の口らしいです。私は寒さにまだ慣れませんし、雪道の自動車の運転もおっかなくてまだできません。
(写真3:山形市教育委員会提供)
話かわって。授業もかねて、先日学生とともに、またまた山形城の発掘現場を訪れました。初めて知りましたが、城内からは16世紀末以降の金箔瓦が発見されています。「山」と読めるのがわかるでしょうか(写真3)。
ご存じの通り、戦国期の城主は最上氏ですが、彼のご先祖は斯波氏、つまり足利氏の親戚です。ですから瓦のマークには、二引両が連想されますが、そうではないのです。最上義光はしばしば「山形殿」と呼ばれているので、瓦の「山」の字は、「山形」の「山」を意味しているのでしょう。つまり、斯波氏の時代から次第に山形城の主として、自身のことを「山形」氏と自覚するようになった、その反映ではないかと思います。義光にとって、「よそ者」の名字ではない、地元「山形」という名字でなければ、人心をうまくまとめられない、と思ったのかもしれませんね。

それから、過日山形新聞に私のコラムが載りましたので、ご興味がありましたら下記にアクセスしてみてください。
http://www.e.yamagata­u.ac.jp/docs/yamashin/102.pdf
http://www.e.yamagata­u.ac.jp/topics/141203.html

最後に。皆様今年もお世話になりました。来年もどうか宜しくお願いします。良いお年をお迎えください。

おちあい

2014年12月21日日曜日

【例会連絡】1月度のご案内

1月度例会のご案内です。

◆日時:1月18日(日)13:00〜15:30
◆場所:名細公民館
◆輪読:現代語訳 吾妻鏡7巻(6巻が終了しました)
◆当番:A班

平成26年度より公民館利用規定が変更になり、13:00〜15:30になりました。

2014年12月15日月曜日

【ご案内】シンポジウム 平泉と中世の河越

【開催主旨】
 今から800年以上前、川越市上戸に館を構えたのが河越氏という武士です。地元川越市には、河越重頼という武士の娘が、源義経の妻となったことを知る人は多いと思います。彼女をめぐる様々な伝説が残されていますが、はたして彼女が奥州の平泉で亡くなったことは意外に知られていないのではないでしょうか。
 1184年9月、かねてからの約束の下、源頼朝は武蔵の有力武士河越重頼の娘を源義経に嫁すことにしました。重頼の娘は、おそらく河越館を出発し上洛したと思われます。しかし、源頼朝と仲違いした義経は、平泉へと逃れました。義経とともに、義経の妻となった重頼の娘も同地へと逃れていきました。
 一方、義経の縁者であるとの理由で、1185年11月河越重頼の所領は没収され、1187年10月以前に重頼自身も殺害されてしまいました。頼朝の追手は平泉の義経夫妻に向けられることになります。そしてとうとう1189年閏4月、義経夫妻とその間の4歳の娘は平泉で自害し、生涯を終えました。
 さて、今年の河越館の会主催のシンポジウムのテーマは、世界遺産平泉と中世の河越を考えることにしました。1185年に河越氏の危機が訪れて、今年で830年という区切りの年を迎えたこともあり、以上のようなテーマを思いつきました。
 そこで、シンポジウム当日のパネラーには、以下の先生方をお招きしました。
 まず、東北大学名誉教授であります入間田宣夫氏は、平泉の世界遺産登録に尽力されたことはもちろんのこと、奥州藤原氏の研究をはじめ、中世の東北地方を独自の視点でもって研究を進められている先生です。当日は、平泉と河越について、広い視野からお話をしていただこうと思っています。
 次に、東北学院大学の岡陽一郎氏からは、平泉に逃げ込んだ義経夫妻はどこにいたのか、その場所の特徴について、お話していただこうと考えています。
 そして、川越市立博物館長の田中信氏からは、河越館跡から出土するかわらけという土器を通じて、平泉との関係についてお話していただく予定です。
 それぞれ最新の研究成果に基づいた貴重なお話となりましょう。当日は昼休みに河越館跡の見学会を予定しています。また各自の報告終了後、全パネラーによるディスカッションも予定しています。よって、当日は一日を通して、平泉と中世の河越について、有意義な議論を深めることができると考えています。是非お楽しみいただき、ご参集いただければと思います。


※なお、中世の史料表記では、「河越」を用いていることが多いため、なるべくこのシンポジウムでは、「川越」ではなく、「河越」の表記を用いることにしました。また、この講演会は川越市提案型協働事業補助金を受けて実施します。
主催 河越館の会
後援 川越市教育委員会

【開催要項】
◆日時:2015年2月28日(土) 9時30分開場
※シンポジウム・見学会の事前申し込みはありません。
◆資料代:500円
◆お問合せ:河越館の会 代表:佐藤正生 ☎049-222-6959

◆会場:川越市西文化会館(メルト) 
〒350-0815
埼玉県川越市鯨井1556番地1
電話番号 049-233-6711
FAX番号 049-233-6715
交通機関 東武東上線霞ヶ関北口 徒歩10分  

【タイムテーブル】
    
 ①10:00~10:10 開会 諸注意・趣旨説明

 ②10:10~11:10 基調講演「平泉と中世の河越」講師:入間田宣夫(東北大学名誉教授 


 ★休憩&河越館跡見学会

【昼食、見学会の注意事項】
会場内で食事をすることができませんが、ロビーではお弁当を食べることが可能です。
霞ヶ関駅周辺には「ガスト」「松屋」などがございます。お近くの食事処などをご活用ください。
※見学会参加の方は、防寒対策ならびに歩きやすい服装でいらしてください。

③13:30~14:10 「衣河-義経夫婦のいた場所」講師: 岡陽一郎(東北学院大学講師

④14:10~14:50 「かわらけにみる河越と平泉」講師: 田中信(川越市立博物館館長

★休憩(15分)

⑤15:05~16:00 パネルディスカッション 司会:酒井紀美早稲田大学講師) 落合義明(山形大学准教授

2014年12月4日木曜日

【例会日程連絡】15年1月度のご案内

15年1月度の例会は、1月18日(日)に決まりました。
詳細は別途ご連絡致します。

12月度は既にご連絡しておりますが、12月20日(土)です。
よろしくお願い致します