2015年7月14日火曜日

【フィールドワーク情報】山形県の歴史・文化探訪

「河越館の会」会員の皆様

こんにちは。
blog管理人です。

10月10日〜11日実施予定のフィールドワークについてです。

【内容】
◆場所
 ・山形県内(米沢・蔵王・天童など)
  ※米沢博物館、上杉神社、山形城、天童市・若松寺など回る予定です。

◆宿泊先
 ・蔵王温泉 

◆費用
 ・27,000円(ホテル代、現地バス代、昼食代、入館料、その他)
  ※往復の交通費は含まれていません。

参加希望の方は、佐藤さんへ直接ご連絡をお願いします。

2015年7月13日月曜日

【公開講演会】武蔵国における浄土庭園を持つ寺院



公開講座を開催します!

講 師  立正大学非常勤講師 大澤伸啓氏 
日 時  平成27年95() 
午後1時30分~午後4時 (開場は午後1時)
場 所  川越市立博物館
主 催  河越館の会    
問い合わせ先 
河越館の会代表 佐藤正生 電話:049-222-6959
参加方法  
入場は無料です。事前申し込みはありません。先着順
(100名を超えた場合は入場をお断りする場合があります)

【開催の趣旨】
 今回の講演会は、中世武士と寺院について注目してみました。中世の武士は殺生を業とする一方、自己の行動を罪深い行為と自覚し、死後は極楽へと望む武士も多かったようです。河越館の近くにもかつて中世寺院が存在していたようですので、中世の武士は、生前から仏教を信仰するため、館の中に持仏堂を建てたり、館の近くに寺院を建てたりしたようです。
 そこで、本講演会では、栃木県足利市を本拠として、後に室町幕府の将軍ともなる、足利氏の寺院について、長年調査・研究をされてきた、大澤伸啓氏に上記の問題についてお話していただこうと思います。
最近、東国武士の本拠地でも、平等院鳳凰堂に代表される、浄土庭園をもつ寺院が存在していたことがわかってきましたので、足利氏は勿論のこと、武蔵武士の本拠地の場合についても講演していただこうと考えています。
当日は貴重なお話を拝聴できる絶好の機会になるものと思います。最新の研究成果に基づいた興味深いお話になること必定です。ご興味の方は、是非ともご参集ください。

【例会連絡】8月度月例会

8月度例会のご案内です。

◆日時:8月2日(日)13:00〜15:30
◆場所:名細公民館
◆輪読:「現代語訳吾妻鏡」第7巻、102ページ 八月大 十七日より
◆当番:CD
以上、よろしくお願い致します。

2015年7月7日火曜日

【例会日程連絡】8月度のご案内

15年8月度の例会は、8月2日(日)に決まりました。

詳細は別途ご連絡致します。

7月度は既にご連絡しておりますが、7月12日(日)です。
よろしくお願い致します。

2015年7月3日金曜日

【例会連絡】7月度月例会

月度例会のご案内です。
◆日時:7月12日(日)13:00〜15:30

◆場所:名細公民館
◆輪読:「現代語訳吾妻鏡」第7巻、86ページ 九月大二日より
◆当番:B・C
以上、よろしくお願い致します。

2015年6月14日日曜日

【例会日程連絡】7月度のご案内

15年7月度の例会は、7月12日(日)に決まりました。

詳細は別途ご連絡致します。

6月度は既にご連絡しておりますが、6月21日(日)です。
よろしくお願い致します。

2015年5月24日日曜日

【山形通信】第五弾!

落合先生より【山形通信】が届きました!
毎年8月に行われる花笠祭は有名ですね。ここでの歌詞「めでためでたの 若松様よ 枝も栄えて葉も茂る」は口ずさめる人も多いでしょう。さて、この「若松様」ですが、山形では、若松寺のことをさすようです(諸説あるようですが…)。今回、新緑の若松寺を訪れましたので、このお寺の話をしましょう。
国指定重要文化財の観音堂

 通称若松観音は、室町時代以降、出羽の三十三観音霊場一番札所として著名となりました。寺の伝えによれば、8世紀、行基によって開かれたといい、860年、円仁が堂塔を整備したといいますから、古代以来の天台宗寺院であることがわかります。現在、同寺は天童市大字山元に所在しますが、中世においては成生(なりゅう)荘といわれていたところにあったようです。現在、観音堂内には以下の銘文が記された金銅製聖観音懸仏が奉納されています。

当庄(成生庄)御政所芳ノ比丘尼高木比丘尼
敬白 若松寺御宝前
奉 懸聖観音御正体
右志趣者為一紙半銭結縁
助成之人々現世者至于七代
令守護給、後生者同成蓮花実矣
弘長三季癸亥五月八日 
大檀那藤原真綱敬白
 縁友藤原氏女 
   三位氏女 紀葉光

 この懸仏は、径が75.7センチという大型のもので、鏡板の中央に聖観音坐像が取り付けられています。技巧も優れていることから、鎌倉あるいは京都など中央で製作されたものと思われます。鏡板の裏面にある銘文には、成生庄の政所「芳ノ比丘尼・高木比丘尼」という2名の女性と、地頭と思われる大檀那藤原氏とその縁友たち、さらには「三位氏女」という女性も懸仏奉納に関わったことがわかります。少なくとも4人の女性の名前が見え、女性たちによる作善であることは興味深いものといえます。恐らく彼女らは、日頃観音菩薩を熱心に信仰していたのでしょう。政所や檀那の呼びかけに応じた「一紙半銭」の結縁助成した人々が、現世では七代に至るまで守護され、来世では「蓮花実」を成すため(死後、極楽浄土に往生し生まれ変われる、というような意味合いだろう)に懸仏を奉納した、という趣旨が刻まれています。
 最近では、このお寺のご住職のご利益が注目を浴びているようです。山形新聞によると、5年ほど前から、ご住職と握手すると、良縁に恵まれるという儀式が行われているようで、これまで約2千人が体験し、良縁を引くパワーを得たのだそうです(2013年5月10日掲載)。
 今も昔も、女性の信心の深さやパワースポット巡りにうかがえるように、神仏のご加護にあやかりたい気持ちは変わらないようですね。一度いらしてみてください。それでは