会員の皆様、こんにちは。
落合先生より山形通信が届きました!
ご無沙汰しています。やっと当地は桜満開となりました。
山形大学キャンパスにて
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さて、当地では、只今、最上義光ブームが到来中です。先月、2冊の本が刊行されました。1冊は、伊藤清郎氏の『人物叢書 最上義光』(吉川弘文館)、もう1冊は、松尾剛次氏の『家康に天下を獲らせた男 最上義光』(柏書房)です。それぞれ売れ行き好調のようです。実は、地元の郷土史家による書物や小説ではいくつか義光を扱ったものはありましたが、今まで実証的な歴史研究書が刊行されていなかったのが不思議なくらいです。3月21日には、研究者を中心としたシンポジウムを山形大学で開催したところ、遠くは熊本県の方までお見えになり、一般の聴講者を含めまして140名あまりの方にご参集いただきました。義光あるいは戦国史研究への関心の高さがわかりますね。
ただ、人物から歴史を学ぼうとしている初学者にとっては、興味を持つ人物の動きを知り、その人物の考えに共鳴したり、思いを寄せたりすることで、ますます歴史が身近に感じられることでしょうが、歴史学者にとって、人物史は結構大変なものです。なぜなら対象とする人物の実像に迫るには、多くの伝承や後世の解釈・思い込みを排除して、古文書など一次史料の読解に基づいて叙述することを心がけ、あくまでも客観的に、様々な角度からアプローチしてゆかねばならないからです。その結果、ともすると、賛否分かれる評価を下すことになりかねません。まさに最上義光がそうで、こちらでは最上義光『公』と呼んで顕彰される方がおられるようですし、郷土の英雄として美化する風潮が見受けられます。
それでは川越ではどうでしょうか。河越氏も重頼『公』、あるいは京姫伝説を信じて疑わない方がおられますよね。こうした伝説もなぜ、いつからそうした伝説が生まれたのか、そんな点を探るうえでは無視できないことかもしれません。歴史離れが言われる昨今、あくまでも史実を追究する学者と、伝説をそれはそれとして受け入れ、愛好される方々との格差を埋める、今後こうした作業がむしろ学者には必要なのかもしれません、と、ちょっと自戒しております。
そうそう、肝心なことを忘れておりました。『現代語訳吾妻鏡 別巻 鎌倉時代を探る』(吉川弘文館)も刊行されました。私も駄文を書きましたので、お暇折りにでも書店や図書館で手に取ってくださいませ。
失礼しました。それではまた。
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