皆様、こんにちは。
blog管理人です。落合先生から山形通信が届きました!
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師走のお忙しいところ、失礼します。今年当地は雪の降り始めが早く、大雪の予感です。
そんな折、11月4日、東北中央自動車道、福島大笹生ICから米沢北ICまでが開通しました。東北道と東北中央自動車道が米沢経由で接続し、福島・山形間のアクセスが容易となりました。雪深い所で難所になっていたところ、この道路の開通は冬でも安心な高速道路の完成といったところでしょうか。宮城経由の山形道とは別に、複線道路の完成で、今後ますます山形と他県との交流・活性化が楽しみになってきたところです。
さて、山形通信、ご無沙汰となりまして、どうもすいません。いいわけにもなりませんが、人生初、7月末に骨折、手術、入院を経験しました。退院しても自主的にリハビリを続けているせいか、元気になりました。その節はいろいろとご心配をおかけいたしました。
50歳直前のアクシデントでしたので、入院中、ベットの上で50歳という年齢について考えを廻らす時間がありました。ということで、中世の偉人たちの50歳について、改めて調べてみましたのでご報告しましょう。以下満年齢です。
平清盛、49歳で太政大臣になりますが、翌年病に倒れ、出家しています。
源頼朝、51歳で落馬。翌年死去。
北条泰時、50歳で御成敗式目制定。
足利尊氏、53歳で死去。
後醍醐天皇、50歳で死去。
足利義満、50歳、病により死去。
足利義政、54歳、銀閣の完成を待たずして死去。
太田道灌、54歳の時、暗殺される。
武田信玄、53歳、病により死去。
上杉謙信、48歳、病により死去。
織田信長、ご存じ人生50年(実際は48歳か)。
豊臣秀吉、50歳の時、惣無事令やバテレン追放令を発布。
と、まぁざっと有名人だけ挙げたみたところで、重病となり、それが基で亡くなったり、暗殺という不幸に見舞われたりしている人が多いのに気がつきます。中には志半ばで亡くなった人もいたでしょう。暗殺は除いて、当時の平均寿命の問題とも関わりますが、以前は簡単にできたことができなかったり、視力や体力が落ちたりと。昔も今も、ちょうど身体の変調を来す年齢なのは一緒なのかもしれませんね。
その一方で、北条泰時は武士として初めて武家独自の法律を定めていますし、豊臣秀吉は自力救済の中世社会に終止符を打つように、豊臣平和令を発令しています。特に泰時は、「ものを知らない夷(えびす)がかき集めた」法律と笑われるかもしれませんが、「人の心の正直を尊び、曲がったのを捨てて、庶民が安心して暮らせるように」、「当事者の身分に関わらず、偏頗なく裁定するための基準」として御成敗式目を作ったと述べています。『論語』「五十にして天命を知る」の境地に立った発言のような気がするのは私だけでしょうか。はたまた、人生の岐路に立つ年齢からの発言とも言えますでしょうか。
偉人と比べるなんて恐れ多いのですが、以上、我が身体を振り返る中で、歴史における身体の重要性について改めて気づかされた、次第です。
では今年最後のイベント、フィールドワーク、「常陸の中世史跡をめぐって」、どうかお楽しみに。
来年も宜しくお願いします!!
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