落合先生より【山形通信】が届きました!
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毎年8月に行われる花笠祭は有名ですね。ここでの歌詞「めでためでたの 若松様よ 枝も栄えて葉も茂る」は口ずさめる人も多いでしょう。さて、この「若松様」ですが、山形では、若松寺のことをさすようです(諸説あるようですが…)。今回、新緑の若松寺を訪れましたので、このお寺の話をしましょう。
国指定重要文化財の観音堂
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通称若松観音は、室町時代以降、出羽の三十三観音霊場一番札所として著名となりました。寺の伝えによれば、8世紀、行基によって開かれたといい、860年、円仁が堂塔を整備したといいますから、古代以来の天台宗寺院であることがわかります。現在、同寺は天童市大字山元に所在しますが、中世においては成生(なりゅう)荘といわれていたところにあったようです。現在、観音堂内には以下の銘文が記された金銅製聖観音懸仏が奉納されています。
当庄(成生庄)御政所芳ノ比丘尼高木比丘尼
敬白 若松寺御宝前
奉 懸聖観音御正体
右志趣者為一紙半銭結縁
助成之人々現世者至于七代
令守護給、後生者同成蓮花実矣
弘長三季癸亥五月八日
大檀那藤原真綱敬白
縁友藤原氏女
三位氏女 紀葉光
この懸仏は、径が75.7センチという大型のもので、鏡板の中央に聖観音坐像が取り付けられています。技巧も優れていることから、鎌倉あるいは京都など中央で製作されたものと思われます。鏡板の裏面にある銘文には、成生庄の政所「芳ノ比丘尼・高木比丘尼」という2名の女性と、地頭と思われる大檀那藤原氏とその縁友たち、さらには「三位氏女」という女性も懸仏奉納に関わったことがわかります。少なくとも4人の女性の名前が見え、女性たちによる作善であることは興味深いものといえます。恐らく彼女らは、日頃観音菩薩を熱心に信仰していたのでしょう。政所や檀那の呼びかけに応じた「一紙半銭」の結縁助成した人々が、現世では七代に至るまで守護され、来世では「蓮花実」を成すため(死後、極楽浄土に往生し生まれ変われる、というような意味合いだろう)に懸仏を奉納した、という趣旨が刻まれています。
最近では、このお寺のご住職のご利益が注目を浴びているようです。山形新聞によると、5年ほど前から、ご住職と握手すると、良縁に恵まれるという儀式が行われているようで、これまで約2千人が体験し、良縁を引くパワーを得たのだそうです(2013年5月10日掲載)。
今も昔も、女性の信心の深さやパワースポット巡りにうかがえるように、神仏のご加護にあやかりたい気持ちは変わらないようですね。一度いらしてみてください。それでは